
坂本龍馬は近江屋事件にて暗殺されました。事件の犯人は誰かという謎は、未だに解明されておらず断定的な答はありません。しかし、舞台となったのは近江屋で、近江屋に移動するまでに龍馬が居住していたのが酢屋であるとされます。
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今は姿の消えた近江屋
酢屋は現在も建物の2階に「龍馬の部屋」を開設しており、酢屋と近江屋跡は歩いて5、6分の距離。近江屋の跡には現在、立て札が立てられており、2020年5月現在に確認したグーグルマップによれば、「かっぱ寿司京のとんぼ店」になっています。その隣は、星野珈琲河原町店。
地下鉄京都河原町駅の地上から歩いて数分で行けそうです。
現在も「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」の碑が立っています。厳密には当時の近江屋の敷地の北隣という関係だそうですが。かつて書店を営んでいた所有者からの了承を得られず、立て札がこの場になったと言われます。近江屋とは、井口家の近江屋井口新助が営んでいた醤油屋のことで、井口家は四条河原町の周辺で広く土地を所有していました。
石碑には解説のための駒札も、京都市の名において添えられています。なお、駒札の寄贈は河原町商店街振興組合と。少なくとも10年前くらいの記録では、その前に京阪交通が入っていて後にサークルKが使っていた場所と思われます。
京都に歴史上の拠点が数多く残されているのは、言うまでもありませんが、この近江屋の跡地の様子を見ても、時代とともに次々と変遷しているのが分かります。
現在も営業を続ける酢屋
一方で酢屋の方は、現在も昔の面影のまま、木の店「酢屋」であり、「龍馬の部屋」が公開されています。(京都市中京区河原町通三条下る大黒町4)
龍馬は、1867年の10月には入洛し、材木商の「酢屋」に投宿するようになりました。酢屋は、創業が1721年に遡るの材木屋で、現在も同じ名称で営業しています。
坂本龍馬は当時、京において酢屋への投宿を常としており、幕末の酢屋の当主だった酢屋嘉兵衛さんがが取引先の土佐藩で龍馬と知り合い、龍馬と意気投合して酢屋の二階を提供したということです。
また、龍馬はここに「海援隊京都本部」を置いて、隊士らと寝泊まりし、1867年の6月には姉の乙女に、手紙で酢屋に投宿していることを知らせていました。
謎の多い近江屋事件にて、龍馬が近江屋で暗殺されたのは事実として、近江屋に移ったのが何時かというと正確なことは分かりません。10月には酢屋にいましたが、龍馬が酢屋に移って間もなく10日くらいで近江屋事件が起きたという説もあります。
近江屋事件:慶応3年11月15日 (新暦では1867年12月10日))
龍馬が狙われていることは、当時は公然の秘密のような状態で、龍馬が居所を転々としても、その所在は出入りする人の様子からも、敵からは早々に把握されており、いずれにしても敵は確実に龍馬を追い込んでいったと言えます。
酢屋の公式サイトには以下のように記されています。
現在私どもでは、昔通り銘木全般を専門に取り扱う「千本銘木商会」、主に木工芸品の制作・販売を行う、「創作木工芸 酢屋」、そして龍馬が大政奉還を目指し、投宿していた二階に龍馬と酢屋の歴史を紹介している、「ギャラリー 龍馬」を開廊させていただいております。
http://kyoto-suya.co.jp/index.html
酢屋の前を走る道は「龍馬通り」と呼ばれているそうです。